経済の混迷

2012.01.28 Saturday | by S.Y生

政治が駄目なら日本経済も浮上のきっかけが掴めないどころか、他国に追い抜かれる分野さえ
出てきている。

それにしても震災の影響は大きいようで、部品調達ができなかったことや節電も影響しているよ
うである。
それに加えてタイの洪水もダメージを与えた。
立ち直りのきっかけを掴んで再浮上を狙っていたであろう計画が総て水泡に帰した感じだ。
米国自動車産業の立ち直り、そしてドイツ車の攻勢、さらに韓国・現代自動車の追い上げも厳し
いと言われている。
世界でもトップと言われてきた日本のテクノロジーは正念場を迎えている。
どうも日本全体が閉塞感に覆われているのかも知れない。
やはり先日も記したリーダーシップを発揮できる人材がいないのだろう。

評論家の佐高信さんと西部邁さんが週刊現代で対談している項目がある。
佐高さんは経済関係の評論を辛口で行っている人であり、西部さんは保守派の論客でこの二人
は思想的には全く相容れないのに、二人が共有できる部分があるからこの対談は面白い。
その中で西部さんの話に興味を惹かれたのは「今の首相とは到底酒は飲めない、無茶苦茶な人
間だが、まだ管とは飲める」という話である。
何が言いたいのかと言えば、今の首相は簡単に言うと胡散臭いのである。
管さんは怒鳴り散らす、イラカンと言われる、そんな人物だからある意味人間くさいのだ。
人間くさい人とは喧嘩になるかも知れないが、本音で話せると思われているに違いない。
ある友人との話の中で彼が「・・・管さん以外に誰がいる?誰がなっても彼がまだマシ・・・」という論
理に通じるところがある。
それにしても期待はずれだった感は否めないが・・・

佐高さんの本にも書いてあるが、ソニー創始者の井深、盛田の二人にインタビューをした話が出
ていた。
井深さんのインタビューでは「自分は人のやらないことを考える(やる)」という話を引き出した。
一方盛田さんには、以前彼の批判をしたにも関わらず快くインタビューを受けてくれた度量の広
さに感心したそうである。
その後東京芸大出身の大賀さんが後継者に任じた、今の経営トップの起用が現在のソニーの
窮状を生み出したようである。
経営トップの起用を間違ったと考えた大賀さんは辞任をするように求めたそうだが、反対に「貴
方が会社から去れ」と言われたそうである。
ソニーの窮状は一般的に今の経営者の問題が大きいと思われている。
本田宗一郎にインタビューしたときにも、それまで批判的なことを述べたが、やはり快く受け容れ
てくれたそうだ。
そのあたりのことを見ても、今の日本には彼らに匹敵する人物がいないのだろう。

日本を代表する大企業でさえ世界を相手に仕事をすれば、さらに優秀な技術や戦略を有した企
業と立ち向かって競争を余儀なくされる。
たかだか5千億程度の狭い花卉業界の中で大した戦略もなく、毎年のように同じことを繰り返して
余り進化の見えないのは人材を含め、業界全体のレベルアップが出来ていない証拠なのだろう。
ソニーを世界企業にした井深さんの「人のやらないことをやる」という発想程度のことはあっても良
さそうだが、ある程度リスクをかけて横並び意識を排除し、しっかりとした考えで独自性をもった生
産や販売を目指そうとする姿勢がそれほど感じられないのはいささか残念で仕方ない。


 

植物の四季

2012.01.27 Friday | by S.Y生

以前からどうしても納得できないことがある。

それは季節外れの出荷についてである。
一番端的な例で批判をしてきたのが、ペチュニアの2月出荷についてだった。
確かにこんな寒い中でも軒下や屋根のあるところに置かれたコンテナや鉢のペチュニアが今も
咲き続けているのを目にする。
さすがに寒さの中だから葉が茶色に枯れかけ、花は色を失っているが咲いている。
だからといって今の季節に似合う、或いはそんな季節感を無視した出荷で四季を感じさせない
生産や販売でよいのだろうか?
どう考えてもそんな目先に拘った出荷や販売が先に繋がり、園芸市場を良くするとは思えない。
例えばネメシアだが、基本的に半耐寒性の植物であるにも関わらず、何故今頃花付きの苗を
出荷するのだろうか?
季咲き性がある品種を春と秋の開花シーズン前に出荷するのであれば理解はできる。
この時期花が少ないので販売店にしてみればつい仕入れたくなるだろうが、基本的に売る花で
はない。
おそらくハウスに温度をかけて早めの出荷で価格を維持しようと思っているのだろうが、そんな
小手先の利益を獲ろうとするから、市場が乱れてしまい、ひいては客離れを起こすのである。
何故こんなことを繰り返すのか個人的には全く理解できない。
こんなことをしているから自らが市場を壊してしまい、園芸から顧客が遠ざかるのである。
そんな生産者に限って矮化剤を使いすぎたり、花芽分化を促す為にジベレリンを使用したりと
薬漬けにしているのかもしれない。
そうして植物特性を失わせた苗モノを出荷するのだろう。
こうして毎年のように同じことを繰り返して悪循環を助長し、その結果消費者の園芸離れに拍車
をかける一つに要因になっている。

日本の場合、徐々に寒さから解放されて春の訪れがあり、やがて新緑の季節を迎える。
そのうち日差しを感じ始めるころからうっとうしい梅雨の気配がしてくる、それが開けると蒸し暑い
夏の到来、そして朝夕の涼しさが秋を感じさせる。
植物が紅葉しはじめると、今度は寒い冬がやってくる。
この季節の循環を四季折々の花で楽しんだり、季節を感じて貰うことが、最も園芸に関わる喜び
や癒しのはずだと思うが、それを無茶苦茶にしているのが今の業界の大きな問題点である。
四季があるからこそ、その四季をどうやって庭を飾るのか、或いはコンテナや鉢に植え込んでい
くかといった楽しみながら考えて貰う庭作りや植え込みが為されていない。
これでは園芸が定着するわけがない。

一番やってはいけないことが季節感を無視することであり、それを踏まえてお客さんに園芸のア
ドバイスやヒントを与えて上げるのが販売店の役割である。
耐寒性はどうなのか、陽光を好むのか、日陰でも良いのか、季節の花として推奨できるのかどう
なのか、そして寄せ植えの場合土をほぐし根だけにして多くの花を植え込んでいく時、根切れを
嫌う植物なのかどうかといった様々な植生を教えてあげることで、購入した人に園芸が根付いて
いくのだと思う。
それには植物の原点とも言える季節感を無視するような生産や販売は、一番戒めなければいけ
ないことだろう。

目先の利益を追って市場を壊すようなことは絶対にやってはいけないことである。
季節感を無視する出荷だけはどうしても納得できないし、許せない。
それによって当事者にだけその反動が返ってくるのならば勝手にどうぞ!とも思えるが真面目
に取り組んで、何とか業界の再浮上を願っている生産者や販売店にまで影響を及ぼすことに
なり、やがては市場を狭めることに繋がっていくことになる。



 

市場離れ

2012.01.26 Thursday | by S.Y生
 
ネットで地元新聞社のニュースを見ていると中央卸売市場の仲卸業者の減少が報じられている。

生鮮食料品(野菜、魚)の話ではあるが、花卉市場の実態も同様の傾向が見られる。
数字的には約3割ほど仲卸業者が減っているそうだ。
その理由は市場外流通が増えていること、スーパーは産直にシフトして市場から離れていること
などが挙げられるという。
同時に量販店に顧客を奪われてしまい、個人経営店の閉鎖も影響としてあるらしい。

昔のような業種の括りでは今の商売は語れなくなっている。
例えば今でこそ一般化しているコンビニも業種で括ろうとすると小売店という大分類でしか括れな
いのが実態である。
何故なら扱っている商品は食料品全般、お弁当類、ちょっとし文具雑貨類や本,雑誌、挙げ句に
現金引き出し機まであり、一体何屋さん?ということになると「コンビニ」としか言いようがない。
HCにしても同様で、日用品から工具、文具、電気製品、灯油、園芸用品・・・等々、さらに食料品
や米まで売っている。
小売店でもあるしプロ仕様の店でもある。
同じように「ホームセンター」としか言いようがない。
こうした店を「業態」と呼ぶが、ドラッグストアにしても同じである。

そんな時代にモノの集荷、それも多くは自社便を出すわけでもなく納品は相手任せ、価格はセリ
次第、あとは適当に持って行って・・・みたいな市場なら必要無い。
それに危機感を抱いて「相対」を導入したり、大した内容でもないにしても情報発信をするように
なってはきたが、市場の機能について根本的な見直しがされているわけでもない。
旧態然とした市場の在り方では時代から取り残されるのは当たり前である。
花卉市場にしてもピーク時から30%程度扱い額が減少している。
それが取扱量と連動したものかどうかは詳しく数字を追ってみないとわからないが、いずれにし
ても時代から取り残されてきていることは間違いない。
それに対してどう対応していくのか?・・・暫くは試行錯誤が続くのだろう。

物流の一通過点だけの機能なら、今後益々必要性はなくなるだろう。
以前、某市場のブログに書かれた内容について批判を繰り返したが、一段上からの目線で生産
者や販売店を眺めている昔ながらの姿勢には辟易していた。
さらに正念場を迎える可能性の高い市場だと思うが、感性を含めて時代感覚に長けた市場の人
材が出てくるのを期待するしかないだろう。
年齢ではなく感性の鈍い昔ながらの発想しか持ち合わせていない人はリタイヤしたほうがよい。
勿論総てについて否定をしているわけではなく、市場ならではの集荷機能は捨てがたいことで
もあるから、それを最大限活かす発想が必要ということだと思う。


日本経済は何処へ向かうの?

2012.01.25 Wednesday | by S.Y生

日本の貿易収支が赤字になったという。

戦後から高度成長期を経て、今に至るまで貿易立国としてやってきた日本。
いわば最後の砦ともいえる貿易が円高や地震・津波の自然災害によって危機に瀕している。
ニューヨークの象徴とも言える貿易センタービルを三菱地所がジャパンマネーで買いたたき、
各映画会社を日本のメーカーが買い漁ってきた勢いは一体何処へ行ったのだろうか?
それどころか日本の得意としてきた家電分野も一部は韓国メーカーに劣っているとの評価が
出ている。
パナソニックは円高で国内生産が出来ないと海外生産をほのめかすコメントを言い始めてい
るし、自動車メーカーに至っては世界市場を見据えて海外生産を強化している。
決して良いわけではない日本経済にも関わらず円高に歯止めがかからない。
これまでは先進国としで経済を引っぱてきた米国も欧州も厳しい状況が続いている。
こんな状況にも関わらず日本円が強いのは、とりあえず国家破綻の危険性が感じられないと
いうことが円高を後押ししているのかもしれない。
要するに「まだマシ」ということなのだろう。

そんな厳しい日本経済、先行きが不透明な状況下で消費税を上げるというのだから、全くどう
かしている。
社会保障と税の一体改革とか言って、結局尻ぬぐいは弱い者や一般の国民に負担を強いる。
おそらく多くの人が、このままでは「立ち行かなくなる」財源の問題を半ば諦め気味にやむを得
ないと思っているに違いない。
私もその一人だが、その前にやることがたくさんある。
政治家や公務員はおおよそ人ごとでしかないないのだろう。
大体国を動かしている自覚があれば利権誘導に走ったりできないだろうし、国の将来像を含め
て予見できることがあったはず。
国家公務員上級試験(キャリア)に受かって、各省に勤めたエライ人たちがそれぞれ将来予測
を立て統計・資料を作っている。
総務省でいえば内閣府統計局が色んなデータを提供している。
社会が成熟してきたり、人々の価値観が変われば婚姻状況も変化するし、もうける子どもの数
も少なくなるだろうことは予測できたはず。
社会保障は若い人たちが支え、そして税金も投入される。
それが支えきれなくなることを想像出来なかったとは到底思えない。
高度成長を支えた時代の通産官僚に佐橋さんという優秀な官僚がいた。
今はそんなスケールの大きな人はいないのだろう。
政治家にしても「天下国家」を論じる風なことを言っているが、きっと口先だけなのだ。
好き嫌いや考え方の違いはともかくとして、スケールの大きな政治家、官僚、経済人はいなくな
ってしまった気がする。

先般埼玉の深谷に生産者を訪ねたとき、JRの深谷駅に降り立ち、街を見回すと色んなところで
「渋沢栄一」の名前が目に入ってくる。
渋沢栄一は日本の資本主義経済の基礎と様々な企業を設立したことで知られているが、その
出身地が埼玉の深谷なのである。
今でこそターミナルデパートは何処にもあるが、それを最初に作ったのは阪急の創始者「小林
一三」である。
宝塚や東宝もその企業グループだが、それにヒントを得て事業展開したのが東急グループの
事実上の創始者が五島慶太だ。

時代に要請されて出てきた人たちだから、今の時代にこういった人たちを求めるには無理があ
るが、それにしてもスケールの大きさ、強力なリーダーシップをもった人はもはや出てこないの
だろうか?


街や家屋の庭に溶け込むガーデニング

2012.01.24 Tuesday | by S.Y生

残念ながら日本の公園や家屋の庭は悲しいほど画一的で創造性に欠ける。

春から夏にはペチュニアやマリーゴールド、あとはつまらないサルビアのスプレンデンス程度、
そして秋から冬に向かってパンジー、それも似たり寄ったりの代わり映えのしない品種の山だ。
何故こんなにも創造力に欠ける 植物の使い方なのだろうか?
特に公共施設や街路は「何もしないよりはマシだろう」くらいの扱いである。
花期が比較的長く手入れが省けるだけの定番1年草という面白くも何ともない植栽だ。
家庭においてもほとんど大差ないみすぼらしい花壇やコンテナ、鉢植えが並んでいる。
如何に「花文化」が育っていないかという証明みたいなものである。
こんな創造力もデザイン力もない植栽はやめたら?といつも思う。

これからは自然や環境に配慮した視点や感性が求められる時代にも関わらず、ほとんど進歩
のない植栽はどうなんだろう?
昔とは違った時間の流れの速さ、それを背景にした心的疲労やストレスが人々をむしばんで
いる。
そんなとき空間に豊かな植物の植え込みや庭があれば、少しくらい心にゆとりがもたらされる
かもしれなし、優しい気持ちにもなれるのではないかと思うが、今のような植栽にそれは期待で
きない気がする。
単に緑化すれば役割は終わった程度の植栽はいい加減卒業してほしいものである。
今から思えば98年前後のブームは一体何だったのだろう?
ブームはいずれ去っていく。
本当ならばそれを出発点にしてさらに深化していくはずだった植物と人との関係性は、全くとい
って良いほど進歩していない。
人々の営みの中で発展していくはずの植物との関係は途中で停滞し、そして衰退するような感
じがするのは私だけなのだろうか?
人々の日常に自然への理解が進めば、もっと暮らしの中に植物が利用されるはず。

ガーデニングは自然の多様性と人が繋がっていく一つの関わり方だと思う。
暮らしに花や植物を取り入れることで豊かなライフスタイルを演出でき、そして未来に向かって
自然と共生する人間社会が生まれてくるに違いない。
そのお手伝いの役割の一部を担っているのが生産者や販売店であるとの自覚を持って顧客と
接するべきではないだろうか。



品質と価格

2012.01.23 Monday | by S.Y生

モノの価格について消費者はどうのように考えているのだろうか?

大きくはその時の経済状況に左右される。
今のように経済状況が不透明な時代には全般的に出費を控える傾向にある。
さらに細分化して考えると、買回品と最寄品とではそれにかける費用の考え方が違ってくる。
そして「ついで買い」と「目的買い」でも変わる。
いずれにも共通するのは「高いより安い方がよい」ことは誰しもが思うことであるが・・・
但し消費者の目線は品質と価格を天秤にかけてもいるのだ。
要するに「安ければ品質に問題があるかもしれない」と予測して見比べている。
そうした価格に比較的拘らないものに趣味や嗜好品がある。
植物は必ずしも生活に必要なモノではなく、消費者のライフスタイルの中で展開される趣味や
嗜好品に分類される。
その点で価格設定には優位な状況が存在するのだが、競合店との競争で価格を意識している。
これに品質が絡んでくるとどうなるのか・・・

最近のHCなどは以前に比べると定番種に限って言えばわりと良いモノを揃えるようになっては
いるが、売場に植物のプロがいない店が多い。
関東のHCのように植物を特化して売場作っている店ではプロを養成しているかもしれないが、
それ以外の店には今のところプロは多くない。
販売商材の一分野として植物を扱ってはいるが、やはり「ついで買い」の意味合いが大きい。
最近では比較的多くの商材アイテム数と、モノよって安価であるというところで勝負しているが、
昔ほど明らかにどうでもよいといった売り方から変わってきている。
しかし、決して対面販売での顧客サービスを行っているわけではない。
専門店とは全く業態が違うのである。
それにも関わらず価格競争に巻き込まれるのはどうしてなのだろうか?
一番の原因はアイテムが被っていることであり、さらに価格設定の粗利率が全く異なっている。
アイテムが被るというのは消費者にとって「生産者によって品質が異なる」ことがほとんど理解
されていないのであり、生産者ブランドとして消費者には認知されていないということである。
例えばHCのパンジーも専門店のパンジーも消費者にとっては同じパンジーなのだ。
それもあってラベルを附したりすることで差別化を狙うことになり、そのことで買って貰える期待
値を上げようとしている。
要は消費段階で市場の成熟さえできていないのが植物市場なのである。
残念ながら品質を見極めるだけの知識や経験が消費者には備わっていない。
その結果販売店は見た目重視の仕入に走ったり、ラベルがなければ売れないと思い込んでい
る節がある。
確かに一義的にはそうだろうが、決して売れ続ける継続性という意味での保証はない。
だからいつも言うように「しょせんパンジーはパンジーでしかない」のである。
そのレベルでは消費者にとっては「安い」方が良いに決まっている。
これまでに何度か「専門店は顧客を育ててきていない」という意味はここにもある。
だから値付けした価格での売り値に自信が持てないのである。
本当の意味で品質の違いや、だから価格も違うのだということが消費者に伝わっていない。
例え同じ生産者の植物でも販売店自体に消費者のブランド認知があれば購入動機になる。
しかしそれが通用するようなサポートや売り方をしてきていないことが問題なのである。
せっかく品質の優れた生産者の植物を仕入れても、その見せ方を含め消費者にアピールする
仕組みが専門店に出来ていないことが多い。
一番良いのはそういったことをしなくても店自体のブランドが認知されていれば、そして高品質
の植物を売るという姿勢が顧客に認識されていれば、購買は着いてくるのである。

ただ花苗の場合、言っても「半製品」である。
高単価といっても自ずから限界があり、よほど特殊なものは別にして300円を超えるような価格
設定は下手をすると顧客離れを招くことに繋がる。
価格の違いは「高品質」と認識して貰う為の値付け方法であるが、やはり「半製品」という価値を
超えるような価格設定は考えなければいけない。
そうしたモノを仕入れる店、値付けをする店も店だが、生産者、販売店共に価格設定にはもっと
慎重であるべきだと思う。







ヒット商品

2012.01.22 Sunday | by S.Y生
 
仕事柄、以前からヒット商品情報を見たり聞いたりすることには特に興味を持っている。

TVでは「スマステーション」が、今のトレンド情報企画をよくやってくれるので出来るだけ見るよう
にしている。
今何が注目されたり、流行っているのかを知ることは、その背景にある消費の動きを知ることが
出来るし、それは何故なのかを考えることで時代性が見えてくる。
トレンドの多くは若者主流の動きだから、総てのことに通用するわけではないが、少なくとも園芸
だからといって全く関係ないとは言えないのである。
前から指摘しているように消費の多様化は絶対数が決まっている中でセレクトされるわけだから
当然のことながら園芸分野にも影響は出てくる。
時代の流れから取り残されてしまうと消費喚起は、より難しくなっていく。
一人でも多くの人に「花」を意識して貰うには、その時代に沿った考え方も取り入れなくてはなら
ないし、消費性向を踏まえた売り方や店作りが大切になる。

そんな前置きはともかくとして、番組の中でいくつか興味を引いたのことがある。
一つはカルビーが原宿の竹下通りに開いたアンテナショップである。
広島生まれのカルビーが年商1千億を超す菓子メーカーに成長したわけだが、メーカーの1千
億超は流通業の1千億とは粗利益率が全く異なるので、おそらく1.5倍以上はあると思う。
やはりポテトチップの生産・売上額ではダントツの会社だから、知名度があるだけに200人以上
の列が出来るらしい。
そこではポテトチップを作る工程がみられるそうで、それ以外にもキャラクター商品も扱っている
し、ご当地ポテトチップも売っているという。
アンテナショップを開設した狙いは、勿論、消費者の情報収集にある。
そこで得た情報を生産や販売に活かすためのショップ開設であり、消費者のストレートな情報
が得られるだけに商品開発には「もってこい」ということなのだろう。

もう一つはパイロットの消しゴム付きボールペン「フリクション」である。
これはパイロットのヒット商品で相武紗季がCMをやっていた。
この度3色のフリクションボールが出たという。
フリクション自体は発売してからずっとヒット商品だが、3色タイプは売り切れが続出するほど
の人気らしい。
以前から3色ボールペンはあったが、フリクションは消費者の要望で生まれたという。
使っている人の話だと「メモの内容によって色分けして使えるので便利」とか「私用と公用に分
けるのに都合がよい」或いは「何本も持ち歩かなくても済む」などの理由で絶大な支持を受け
ているという。
消費者の要望からやっと開発にこぎ着けて販売に乗せたのだろう。
これなど明らかに「消費者(購入者)」を意識したものであり、売れる製品を作るには消費者の
意見を大切にしていくことで結果が出てきたと言える。
要するに「ボトムアップ」の手法で製品開発をして、その結果売れていると言うことだ。
マーケットを創造するには消費者の視点は避けられないということがよく分かる。

その点、園芸業界はどうだろう。
誰の顔を見て生産し、誰に売ろうとして市場に出荷しているのか?
販売店は顧客を意識して仕入れているのだろうか?
個人的な印象では、少なくとも顧客を意識した生産販売や店作りが出来ているとは思えない
ところが辛い。



2012.01.21 Saturday | by S.Y生

どこまでが本当なのかは分からないが、某園芸店の良くない噂がある。

店舗デザインもシンプルで比較的奇麗に整った店作りがされている。
どちらかと言えば好きな雰囲気の店の一つだが、何故かよい噂を聞かない。
気になってブログやHPを時に覗いているが、特にかわった様子は感じられない。
ただ一つ気になるのはHPやブログの告知で、割と頻繁に安売りを打ち出しているのが気になる。
それもシーズン終わりだけなのか、日常から安売りで来店を促そうとしているのか分からない。
いずれにしても余り感心できる売り方ではない。
専門店が安売りを日常的に始めると、たいていの場合、資金繰りの問題や顧客数の減少が考
えられるから、そうではないことを願っているが、どうなんだろう?
他所の台所事情は分からないから何とも言えない。

良いときばかりではないから、再度持ち直すには相当の努力と変革が必要になる。
特に直接消費者と対峙する販売店は、ちょっとしたことで顧客が去っていく。
失った顧客を取り戻すのは並大抵のことではない。
だからこそ日頃から消費環境や自店の置かれている状況、そして業界の推移を常に見つめて
いなければならない。
それも必ず消費者目線で見なくてはいけない。
多くの場合手を打ったつもりでも方向違いのことをしては効果などほとんどない。
要するに販売店と顧客の間に整合性が生まれたり、存在しなければ自店では変わったつもり
でも顧客から見たとき、何一つ変わったように見えないことがよくある。
その結果店を閉じるしか残されていない状況に追い込まれてしまう。

これまで色んな店を作ってきて一番気を遣い、そして難しかったのは顧客を引き留め続けるた
めの方策だった。
どうしても店は陳腐化していくので、根本的に変えるには改装して、もう一度仕切り直しをする
のが最も効果がある。
しかしそれにはそれなりの資金投入が必要になるが、今の園芸業界の状況を見るとかなりの
リスクを背負うことになる。
それが無理なら、あと残されているのはソフト面の変更による自店への訴求効果だが、その場
合必要なことは「消費者の購買心理とニーズやウォンツを知る」ことでしか対応できない。
実はそうしたニーズやウォンツを顧客自身把握して店を眺めたり、訪ねたりしていることは希で
ある。
ほとんどは購買の深層心理の中であり、店を訪れた時にそれが呼び覚まされるのである。
ちょっとした琴線にふれるような対応や提案が心を動かす。
その積み重ねが顧客の心理に自店が刷り込まれていくのである。

販売店はそんな対応や店作りがちゃんとできているだろうか?
一度安売り特売に手を染めると消費者の心はその商環境に支配され、通常価格では買わなく
なってしまう。
特に生活のために必要でない花などは最もやってはいけないことである。
自らが店の価値を落とすような売り方は絶対に避けなくてはいけない。




失われた消費性向

2012.01.20 Friday | by S.Y生
 
デパートの売り上げが15年連続で下降線を辿っている。

最近発表された百貨店協会の発表によると前年比2%程度マイナスだという。
売上のピークは1995年前後らしいが、その頃の3分の2まで売上が落ちているらしい。
単純計算で毎年2%程度下落すると15年では約30%だからピーク時の3分の2は当たっている。
今回の分析も例年通り「婦人服の売り上げが・・・云々」「食品の売り上げが・・・云々」といったあり
きたりの原因を挙げ、今年度は底入れするのではないか、といった楽観的な希望的観測を述べて
いるようだ。
しかし、私の考えでは今後も下がり続けると思っている。
その理由は幾つかあって、一番大きな原因は明らかに時代のトレンドに合わなくなっている。
画期的な解決策はどうみても見当たらない気がする。
もう少し早くそれに気づいて対応策を講じていれば良かっただろうが、最早遅くに失する。
消費構造や購買心理の変化、そして消費者の価値観多様化に対して何らかの手を打っていれば
良かったのに殆ど何もできないままに今日に至っている。
どうもデパートというブランドやステータスに胡座をかいてきたようなところが見受けられる。
店作りも殆どパターン化しているし、購買心理を刺激するようなものが感じられない。
さらに店自体の売り場面積が広くて、小回りなど到底できるような規模ではない。
あとは閉店するか、全く業態を変えてしまうことしか打開策がないような気がする。
それにも関わらずまるで人ごとのように「今年は底入れする」みたいな楽観的なことを言っている。
一般論で言うところの「景気が持ち直す」、だからデパートの売り上げも今後下がり続けることは
ない、とかいうような外部的要因ではないことが分かっていないのは何故?
残された解決策があるとすれば消費者に受け容れる画期的な変化があれば・・・である。
どう考えてもそんな調子の良い自己都合など消費者が理解して、デパートを見直してくれるとは
とても思えないのである。
ちょっとした安心感や体裁を考えて贈り物をする場合にはデパートを利用するかも知れないが、
それ以外にデパートで買う必要性はそれほど感じられない。
おそらく多くの人たちは使い分けをしてデパートも利用している。
何が何でも「デパート」といったことはなくなっている。
たまに惣菜を購入することがあって、価格は高いが味や出来映えは間違いなく良いのである。

園芸業界も同じように減少を続けているが、構造的にはよく似ている。
そして売れない理由付けまで、その暢気さには呆れてしまうが、同じ感覚で人ごとのようなこと
を卸市場の人たちは言っている。
「先週は天候が良くなかったので・・・云々」
「景気の低迷が影響している」
 ・・・・・・
こんな話を聞く度に「分かっていないなぁ」と、いつも思ってしまうのだ。

何だか限界を感じる話である。




植物の力とガーデニング

2012.01.19 Thursday | by S.Y生
 
本来植物は自然の中で自身の力をもって生きていく能力を有している。
地中に根を張り光合成を繰り返しながら成長していく。
それぞれの植物に合った土質と光、そして適度の温度があれば伸びやかに成長してくれる。
その成長もそれぞれの植物が持っている特性を活かしながら自然に大きくなっていく。

こうした自然の摂理を利用してガーデニングを考えていくのが、植物と人間の関わり方である。
このブログ上で「本来、植物生産は産業として馴染まない」といった根拠はここにある。
それを産業化した限りはできるだけ植物の持つ特性を活かした生産を心がけ、効率を優先する
ようなことは避けなければいけない。
ところが経営という側面がある限り、効率は避けて通れないし、当然競争も生まれてくる。
その結果、季節外れの植物が店頭に並んだり薬漬けの苗ものが市場に出回ることになる。
前述のように産業化はやむを得ないとすれば、せめて植物の持つ力を引き出せるような栽培を
心がけるべきだろうし、季節感を失うような出荷は出来るだけ避けなければいけないと思う。
寄せ植えはともかくガーデンを考えた時、やはり自然ののびのびとした植物の姿を表現させて
あげるのが最も好ましい。
そうした使い方を提案したり、アドバイスをしてあげるのが販売店の一番重要なことである。
ただ単に何となく売ればよい、ということを何年もやってきたから市場拡大は出来なくなったし、
それどころか縮小してしまった。

どんな庭を造りたいかを考えて植物を選び、その植物の特性を踏まえたデザインをする。
植物にはそれぞれ伸びたい方向や好みの場所もある。
そんなこと一つ取っても末端の消費者にちゃんと伝わっているとは、到底思えない。
そういった積み重ねが植物をライフスタイル取り込んで行くきっかけになっていくはず。
例えばガーデニングの本場である英国のガーデンデザイナーが日本で作ったガーデンを見る
と「どこをどのようにデザインしたのだろう?」と思うくらい自然の姿を尊重したデザインになって
いるのである。
そもそも植物はそれらが持っている形や力を発揮できるような生産や販売が大切である。
いつまでもパンジーやペチュニアが売れるような流れでは生産も販売も立ち行かなくなる。

地域性を踏まえたガーデニングが根付くような販売に向かうことを期待してやまない。
同様に生産レベルでもそれをイメージできる植物を作って出荷するべきだろう。
植物の持っている力と特性を活かした生産を心がけなければいけない。

まずは生産者も販売店も発想の転換である。

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